■ 概要(学区と学校の紹介)
広島市の東部を流れる猿猴川の右岸に沿い、北にJR山陽本線、山陽新幹線、南に段原蟹屋通り(旧宇品線)に挟まれている南北に長い地域を学区としている。
広島市の玄関である広島駅を学区内にもち、これを中心として、食品市場・衣料問屋・各種商店街が連なる愛友市場があり、早朝から深夜まで活発な取引が行われ、その上学校正門前を県道164号線(旧国道2号線、別名大州通り)が走り、各種自動車の往来が激しい。
児童数の推移を戦後に限ってみると、昭和32年の1,117名をピークに長期減少傾向にある。昭和43年には、500名を割り、平成元年には、200名を割った。そして、平成11年度には初めて100名を割り、本年度は75名である
(平成22年7月29日現在)。
■ 沿革(荒神町小の歴史)
※ 年表の中にある
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| 明治 6年 1月 | 猿猴橋町の民家を借りて開校する 共立正心館と名づける |
| 明治 8年10月 | 古町小学校と名前を変える |
| 明治17年10月 | 信成小学校と名前を変える |
| 明治23年 5月 | 荒神町尋常小学校と名前を変える |
| 明治31年 2月 | 段原小学校ができ、段原地区児童とわかれる |
| 大正 6年 8月 | 尾長小学校ができ、尾長地区児童とわかれる |
| 大正12年 4月 | 荒神町尋常高等小学校と名前を変える |
| 大正12年11月 |
西蟹屋310番地(現在の場所)に新しい校舎を建てて引っ越す |
| 昭和 9年 4月 | 比治山小学校ができ、南蟹屋・大州地区児童とわかれる |
| 昭和16年 4月 | 広島市荒神町国民小学校と名前を変える |
| 昭和19年 6月 | 学校給食が はじまる |
| 昭和20年 4月 | 戦争のため、学童疎開する(安佐郡小河内村・久地村へ) |
| 昭和20年 8月 |
原始爆弾が投下され、校舎が全壊する |
| 昭和22年 4月 | 広島市立荒神町小学校と名前を変える |
| 昭和23年 9月 |
校舎(木造2階建て・6教室)ができる |
| 昭和26年 4月 | 広島県統計教育研究校に指定される |
| 昭和29年11月 |
校舎が建てかえられる(鉄筋コンクリート製) |
| 昭和30年 5月 | 給食場ができる |
| 昭和31年11月 | 第2回全国統計教育研究大会で公開授業を行う |
| 昭和35年 8月 | プールができる |
| 昭和37年 1月 | 校歌ができる |
| 昭和37年 5月 | 県教委より交通安全モデル校に指定される |
| 昭和38年 2月 |
歩道橋ができる(日本初!) |
| 昭和38年 5月 | 市教委より音楽教育課程研究校に指定される |
| 昭和40年 3月 | 校舎が建てかえられる(現在の校舎の西半分) |
| 昭和40年10月 | 日本学校安全会より交通安全優良校に表彰される |
| 昭和44年 4月 | NHK放送教育研究委嘱校となる(3年間) |
| 昭和45年 3月 |
特別教室(理科・図書・音楽室)ができる(現在の校舎の東半分) |
| 昭和46年 5月 | 体育館ができる |
| 昭和53年10月 | 留守家庭児童会室(プレハブ)ができる |
| 昭和54年 4月 | 言語・難聴教室(ことばときこえの教室)ができる |
| 昭和55年 4月 | 市教委より体力づくり研究推進校に指定される |
| 昭和56年 3月 | アスレチックができる |
| 昭和60年 4月 | 広島市障害児教育研究推進校に指定される |
| 昭和62年 3月 | 広島市障害児教育研究推進校として表彰される |
| 平成 2年 3月 | 飼育小屋ができる |
| 平成12年 4月 | ふれあい広場ができる |
| 平成16年 4月 | 知的障害児学級(なかよし学級)ができる |
| 平成16年10月 | 第43回全日本特別支援教育連盟全国大会で公開授業を行う |
| 平成19年 1月 | 文部科学省指定「人権教育総合推進地域事業研究発表会」で公開授業を行う |
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